20世紀初頭からさかんになるモダニズム建築運動を推進した建築家で、近代建築の三大巨匠と呼ばれる。
1930年には、美術と建築の学校「バウハウス」の校長に就任したが、1933年ナチスにより閉鎖されたため、アメリカに亡命、シカゴの大学で建築学の教授(1938年から1958年)を務めるなどの活動や建築物の創造を通して、モダニズム建築のコンセプトの成立に貢献した。
83歳になった1969年8月17日、シカゴで亡くなっている。
ミース・ファン・デル・ローエ記念館(バルセロナ・パビリオン)
1929年のバルセロナ万国博覧会の際にミース・ファン・デル・ローエが設計したドイツのパビリオンは、部屋という概念を取り除いて、単純な大理石の壁、細い柱、平坦な屋根でモダニズム建築の空間を実現した傑作として、建築史上で高く評価されている。
このパビリオンは、博覧会終了後に解体されたが、1986年に同じ場所に復元され、現在も「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」として公開されている。
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